Architectureの訳語です。明治初期には「造家」という訳語が当てられていました。伊東忠太(建築史家・建築家)は、1894年(明治27年)の「アーキテクチュールの本義を論じて其の訳字を撰定し我が造家学会の改名を望む」という論文の中で「世の所謂Fine Artに属すべきものにして、Industrial Artに属すべきものに非ざるなり」と述べており、工学ではなく総合芸術としての属性を表す語として「建築」という訳語がふさわしいと主張しました。 明治時代の英和辞典によると「建築の術なり」と解説されているのはconstructionであり、「建設」の意味で使用されていたようです。ただし建築という言葉自体はすでに存在しており、造家学会の機関誌は「建築雑誌」(1887年創刊)でした。また、北海道開拓使では「建築」を今日のArchitectureの意味で使用していました。 伊東の提案により、造家学会は建築学会と改称し(1897年)、東京帝国大学工科大学造家学科は建築学科に改称しました(1898年)。(明治初期には、建築のみならず西洋式の絵画も、建築図面を描くための工学[要出典]として輸入されました。これらが工部省の所管する工部大学校・工部美術学校で教えられていたこともその現われなのです。)